三国志 曹操(そうそう)の遺骨と断定

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三国志(魏,呉,蜀)の登場人物、魏(ぎ)の基礎を作り上げた曹操の墓と遺骨が2009年に見つかった件について、河南省文物考古研究院は墓の建築構造などから遺骨はほぼ間違えなく曹操であると発表しました。(2018年3月26日発信情報)

曹操の墓とされる遺跡は中国河南省安陽にあり、これまでにも大量の石碑が出土、その中には「魏武王常所用挌虎大戟」、「魏武王常所用挌虎大刀」など曹操を示す「魏武王」という言葉が刻まれた石などが発見されていたことから詳しい調査が進められていました。

河南省安養県安平郷滋賀沙村に位置する東漢時代墓群

さらに、墓室からの出土は約60歳の男性、2名女性(約50歳の女性、約20歳の女性)の遺体が計3体発見されており、「60歳の男性は曹操」、「50歳女性は後に魏の初代皇帝となる曹丕(曹操の次男)の母親」、「20歳女性は曹昂(曹操の長男)を出産し若くして亡くなった母親」だと考えられています。

「三国志・魏書・武帝紀」の記載によると、建安23年(西暦218年)に曹操は「古之葬者,必居瘠薄之地。其規西門豹祠西原上為壽陵,因高為基,不封不樹(墳丘や石碑はいらない=簡潔にしなさい)」と言っていますが、発掘された墓の東側と南側の地面からは大量の柱の跡が発見されており、地上に建築物があったことが分かっています。

考古学者の間では「曹丕(次男)が父親の墓を簡素にするなどとてもできなかった」、「(地上の建築物は)曹操の墓を後世で暴かれないようにするためじゃないか」など様々な推測が飛び交っているそうです。

当時の葬儀規格から想定しても皇帝1級に該当することからも「曹操」だとも推測が可能です。

曹操は三国志の英雄として知られる一方、日本では悪役として描かれていることも多い非常に有名な武将。三国志ファンとしては興味深いニュースとなったのではないでしょうか。

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